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大阪地方裁判所 昭和29年(行)34号 判決

原告 牧興業株式会社

被告 大阪府生野府税事務所長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は「被告が原告に対してなした原告の昭和二二年九月一日から同二三年八月三一日までの昭和二三年度(以下本件事業年度と称する。)分の法人事業税(事業税割として事業税額の一〇〇分の一〇の都市計画税を含む。以下同じ。)を金一、五五五、四七〇円とする課税決定を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

原告(昭和一四年九月二七日立花サンダル工業株式会社の商号で設立され、その後その商号を順次、牧製靴工業株式会社、牧軍需工業株式会社、牧製靴工業株式会社と改め、昭和三〇年七月二七日現在の商号に変更した。)は本件事業年度において所得が無かつたので、法人事業税の申告をしなかつたところ、被告は突然昭和二八年八月五日原告の本件事業年度の法人事業税金二、一一八、二九八円の納付督促状を原告に送達してきた。ところで原告は被告から右法人事業税の納税告知書の送達を受けていなかつたが、被告は昭和二八年七月一五日付で右課税決定をしているというので、原告は取敢ず同年八月一三日被告に対し異議の申立をした。これに対し被告は同二九年一月二一日右決定中法人事業税金一、五五五、四七〇円を超える部分を取消す旨の決定をし、同年同月二三日その通知書を原告に送達してきた。しかしながら、原告は前述した通り被告がしたと称する昭和二八年七月一五日付課税決定の通知を受けていないから、右課税決定によつては、原告において納税義務を負担することはない。仮にそうでないとしても、地方税法によると、法人の事業税は法人の事業所得を課税標準として賦課するものであるところ、被告が課税標準として、原告の本件事業年度の事業所得とするところのものは原告の所得ではない。すなわち、それは個人で大阪市生野区北生野町二丁目一九番地において子供靴等の製造販売をしていた原告の代表取締役牧嘉六が昭和二三年一月から同年七月頃までの間、同人が昭和一二年から一三年頃買入れて蔵置していた皮革合計三四六、〇〇〇坪を代金二七、二五〇、〇〇〇円で販売して得た牧個人の所得である。このことは、牧嘉六の前記販売行為による益金を原告の所得であるとして、原告及びその代表者である牧嘉六が法人税逋脱等の容疑で大阪地方裁判所に起訴され、昭和二四年一月三一日同裁判所で有罪の判決を受けたが、原告等の控訴の結果同年六月一五日大阪高等裁判所において法人税逋脱の点については前記皮革の販売行為による益金は同人個人の所得であるとの理由から無罪の言渡を受けていることに徴しても明白である。もつとも、原告は昭和二四年一月二四日大阪生野税務署長に対し原告の本件事業年度の所得額を金一、九三六、二九一円五銭と申告したところ、同税務署長は昭和二五年一二月原告の右年度の所得額が金二五、六七六、三五四円であるとの更正決定をなし、次で原告よりの歎願により同税務署長は昭和二八年一一月三〇日右所得額を金一八、八五四、一九二円と訂正決定したこと、原告が右年度の法人税を納付したことはあるが、それは、原告が法人税逋脱の容疑で起訴されるに及び無実であることを確信していたものの、脱税の容疑を受けることは原告の存立を危殆ならせるような重大事であるし、且つ当時事件の審理経過は憂慮すべき状態にあつたので、牧嘉六は同人の同族会社である原告の為に前記同人の皮革販売行為による益金を原告の所得として申告し、法人税を納付することが得策であると考え、原告から上記のような申告をし、法人税を納付したものであるから、このことがあるからといつて、牧嘉六個人の所得を原告の所得であるとすることができない。被告が、前記のような法人事業税の課税決定及び異議申立に対する決定をするに際し、前記大阪高等裁判所の判決の直後自ら所得額の調査をしていたならば、原告には前述の通り本件事業年度には所得が皆無で、生野税務署長が原告の所得としているものは実は牧嘉六個人の所得であり、原告が前述したような事情から生野税務署長に対して所得額の申告をし、且つ法人税を納付するに至つたことを明かにすることができたのに拘らず、被告は、事業税のような地方税は、形式のみならず実質上も国税から独立し、地方税の賦課徴収は地方団体の独自の調査資料に基きなさるべきものであり、しかも賦課徴収の時期についても課税標準である所得発生の時期になるべく近い時期に行わるべきであるとの要請に反して、一回の調査をもすることなしに、本件事業年度から五年も経過した昭和二八年になつて漫然前記生野税務署長の所得額の決定及びその訂正額をそれぞれそのまま課税標準としたため所得皆無の原告に対し不当な法人事業税を賦課するに至つたものであつて、被告のした原告の本件事業年度の法人事業税を金一、五五五、四七〇円とする課税決定は、原告に何等本件事業年度において事業所得がないのに拘らず所得があるとした点において、又仮に何等かの所得があつたとしても、国税である法人税の課税標準である所得額をそのまま地方税である法人事業税の課税標準とした点において、いずれも違法がある。従つて原告は被告の右課税決定の取消を求める為本訴に及んだ。

と述べ、

被告の答弁に対し、被告の担当職員が原告方に調査の為来訪したことはないし、被告より本件事業年度の所得額の申告書及び帳簿書類の提出を命ぜられたこともない。又被告の呼出に応じて小森が被告方へ出頭したこともないと述べた。

(証拠省略)

被告は主文同旨の判決を求め、答弁として、

原告主張の事実中原告が昭和一四年九月二七日立花サンダル工業株式会社の商号で設立され、その後その商号を順次牧製靴工業株式会社、牧軍需工業株式会社、牧製靴工業株式会社と改め、昭和三〇年七月二十七日現在の商号に変更したこと、原告が被告に対し本件事業年度の所得の申告をしなかつたこと、被告から原告に対し昭和二八年八月五日原告の本件事業年度の法人事業税金二、一一八、二九八円の納付督促状が送達されたこと、原告が被告に対し前記同年七月一五日付法人事業税の課税決定について異議の申立をしたこと、被告はこれに対し同二九年一月二一日原告の本件事業年度の法人事業税額を金一、五五五、四七〇円と訂正する旨の決定をし、右決定が同年同月二三日原告に送達されたこと、原告が法人税逋脱等の容疑で大阪地方裁判所に起訴され、同二四年一月三一日同裁判所において有罪の判決を受け、次で同年六月一五日第二審である大阪高等裁判所において後記皮革の販売による益金は牧嘉六個人の所得であるとの理由から法人税逋脱の点については無罪の言渡を受けたこと、原告が同年一月二四日生野税務署長に対し本件事業年度の所得の申告をし、同税務署長から原告の本件事業年度の法人税の課税標準である所得額を金二五、六七六、三五四円とする更正決定を受けたが、右所得額は原告の歎願により同税務署長より昭和二八年一一月三〇日金一八、八五四、一九二円と訂正決定されたこと、被告の法人事業税の課税決定はいずれも前記法人税の課税標準である所得額をそのまま課税標準としたものであることはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。前記昭和二八年七月一五日付法人事業税の課税決定について被告は同日決議書を作成し、それに基く納税告知書を発付簿、発送簿に登載の上郵便により原告宛に差出しているから、右告知書はその頃原告に送達されている。従つてこの点の原告の主張は理由がない。又原告主張の皮革の販売は牧嘉六個人の営業としてなされたものではなく原告の営業である。従つて右販売により生じた益金は原告の本件事業年度の所得に算入すべきであるのに拘らず原告は被告に対し本件事業年度の所得の申告をしなかつたので、被告は昭和二八年までの間に幾回となく担当職員をして調査させたところ、原告方には帳簿書類がなく、欠損続きで所得が皆無である旨答えるのみで、累次にわたる被告の督促にも拘らず、原告はその所得の申告は勿論、帳簿書類等の所得算定の資料を提出しなかつたし、呼出に応じて被告の事務所に出頭しなかつた。ところが被告はたまたま昭和二八年六月頃被告の呼出に応じて出頭した原告の使者小森から本件事業年度の法人税額が決定されていることを探知したので、調査したところ、生野税務署長の前記法人税の更正決定を知つたので、右法人税決定の資料を基礎として法人税の課税標準である所得額を正当なものと認め、これを法人事業税の課税標準として前記昭和二八年七月一五日付課税決定をしたものである。これに対して原告から異議の申立があつたので、被告は再調査をしたところ、生野税務署長は前記更正決定による所得額を昭和二八年一一月三〇日前記の通り訂正決定していることを知り、右訂正に係る所得額を正当と認めて、これを法人事業税の課税標準である所得として、前記の通り異議に対する決定をしたのである。そうして、原告が本件事業年度に皮革等の販売による所得を有していたことは、前述の通り昭和二四年一月二四日所得の申告をなし、次で同二八年七月三〇日大阪国税局長に対し「誤謬訂正につき歎願」と題する書面を提出し、法人税の減額を懇願していることに照しても明白である。従つて被告のなした原告の本件事業年度の法人事業税額を金一、五五五、四七〇円とする課税決定には何等の違法の点はないと述べた。

(証拠省略)

理由

原告は昭和一四年九月二七日立花サンダル工業株式会社の商号で設立され、その後その商号を順次牧製靴工業株式会社、牧軍需工業株式会社、牧製靴工業株式会社と改め、更に同三〇年七月二七日現在の商号に変更したこと、同二八年八月五日原告の本件事業年度の法人事業税金二、一一八、二九八円の納付督促状が被告から原告に送達されたこと、原告が同年八月一二日被告に対し同年七月一五日付原告の本件事業年度の法人事業税を金二、一一八、二九八円とする課税決定に対して異議の申立をしたこと、被告はこれに対し同二九年一月二一日前記課税決定のうち原告の本件事業年度の法人事業税額を金一、五五五、四七〇円を超える部分を取消す旨の決定をし、右決定が同年同月二三日原告に送達されたことはいずれも当事者間に争がない。

そこで前記被告の昭和二八年七月一五日付課税決定が原告に送達されたかどうかについて判断する。

成立に争のない乙第一号証から第三号証まで、同第六、第七号証、証人織田律の証言を綜合すると、被告は昭和二八年七月一五日原告の本件事業年度の法人事業税の決定決議を了し、右決議に基き徴税令書を作成し、即日これを原告宛に郵便で発送したが、右令書は同年同月一七日頃までに原告に到達していることが認められる。もつとも真正に成立したと認める甲第八号証(原告の受信簿)には原告が前記日頃被告から徴税令書を受取つた旨の記載は見当らないが、このことだけから、被告の前記徴税令書が原告に到達しなかつたと速断できないから、右書証の存在は必ずしも前記認定の妨げとなるものではなく、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。そうすると原告のこの点に関する主張は採用の限りではない。

次に原告が前示金一、五五五、四七〇円の法人事業税額算定の基礎となるような所得を本件事業年度において有したかどうかについて判断する。

被告は先に原告が本件事業年度において金二五、六七六、三五四円の所得を有するとして前記昭和二八年七月一五日付法人事業税の課税決定をし、次で原告の異議により原告の右年度の所得を金一八、八五四、一九二円と訂正し、これを基礎として前記昭和二八年七月一五日付課税決定の法人事業税額を金一、五五五、四七〇円を超える部分について取消す旨の決定をしたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第三、第四号証、乙第八号証の一から六まで、同第九号証の一から三まで、同第一〇、第一一号証の各一、二、同第一二号証から第二六号証まで、証人松本一夫、井上宣夫の証言を総合すると、原告の代表取締役である牧嘉六はかねてから個人で製靴業を営んでいたが、昭和一四年九月二七日その営業を会社組織に改め、原告の前身である立花サンダル工業株式会社を設立したが、会社組織となつてからも営業の実権は牧嘉六が掌握し、その実体は依然として同人の個人営業と何等異るところがなかつた。牧嘉六は、個人で営業していた時代である昭和一二年か一三年頃皮革約四四三、〇〇〇坪を購入し、原告(当時立花サンダル工業株式会社)設立の際これを原告に引継ぎ原告の倉庫に蔵置していたところ、原告は昭和二三年一月頃から同年七月頃までの間に吉田千代松、岩本定義にその内約三四六、〇〇〇坪を販売し、原告の倉庫で引渡し、相当額の収益を得本件事業年度において合計金一八、八五四、一九二円の所得を挙げたが、原告は右皮革の帳簿を戦災で焼失したのと、物価統制令に違反して販売した為、右所得をその帳簿に計上しなかつた。そして原告は生野税務署長に対し、その昭和二一年九月一日から同二二年八月三一日までの事業年度分については欠損で所得がない旨の申告をし、本件事業年度分については過少申告をしたので、同税務署員から原告は数回調査を受け、牧嘉六及びその同族名義で有していた資産の取得源泉について、説明を求められた結果、牧嘉六は前記の資産はいずれも原告が前記皮革の販売により得た利益で購入した原告の隠匿資産であることを承認するに至つたことが認められる。成立に争のない甲第三号証、第五、六号証の記載中前記認定に反する部分は信を置けず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

そうして、原告が昭和二四年一月二四日生野税務署長に対し本件事業年度の所得を申告したところ、同税務署長は本件事業年度の法人税の課税標準である所得額を金二五、六七六、三五四円であるとの更正決定をし、次で原告の歎願で同税務署長は昭和二八年一一月三〇日右所得額を金一八、八五四、一九二円と訂正決定したこと、原告が右年度の法人税を納付したことは当事者間に争がない。もつとも、原告が前記皮革を販売して得た所得に関して法人税逋脱等の容疑を受けて大阪地方裁判所に起訴され、昭和二四年一月三一日同裁判所において有罪の判決を受け、次で同年六月一五日第二審である大阪高等裁判所において右所得は牧嘉六個人の所得であるとの理由で法人税逋脱の点については無罪の判決を受けたことも当事者間に争がないが、原告が前記法人税の申告及び納税をしたのは原告主張のような理由からであるとの点についてはこれを認めるに足る証拠はなく、原告が法人税逋脱の点について無罪の判決を受けたことは必ずしも前記認定の妨げとなるものではない。そうだとすると被告が原告の本件事業年度の所得額を金一八、八五四、一九二円とし、これを基礎として原告の法人事業税額を決定したことは結局正当であるから原告が本件事業年度において所得を有しなかつたことを理由として被告の課税決定の取消を求める原告の主張は採用の限りではない。

次に原告は国税から形式も実質も独立した地方税である事業税の課税決定に当つては、地方団体が独自で調査して得た資料に基き税額を決定すべきであり、しかも右決定は所得が発生した事業年度に近接した時期において行われることを要請されているのに拘らず、被告は一回の調査をもしないで五年を経過した昭和二八年になつて国税である法人税の課税標準をそのまま地方税である法人事業税の課税標準として法人事業税額を決定したから、被告のした前示課税決定は違法であると主張し、被告が前記の通り昭和二八年七月一五日付で課税決定をしたこと、原告の本件事業年度の法人事業税額を金一、五五五、四七〇円と決定するに当り、前記生野税務署長の決定した所得額金一八、八五四、一九二円をその算定の基礎としたことは当事者間に争がない。そうして被告が昭和二八年になつて課税決定をしたのは、証人織田律の証言及び本件口頭弁論の全趣旨によると、被告は昭和二三年当時から原告の所得の調査に着手していたが原告は被告の担当職員からの度々の督促にも拘らず、所得額の申告、帳簿書類の提出、呼出に応じての出頭等調査に必要な協力をしなかつた為調査ができずその内数年を経過したので、被告の怠慢に基因するものでないことが認められるし、国税である法人税も、地方税である法人事業税も当該事業年度の所得額を課税標準とする点においては同じであるから、被告が課税決定をするに当り法人税の課税標準である所得額を、地方税である法人事業税の課税標準としてこれを基礎として法人事業税額を算出したとしても、右所得額が正当である限り(上記所得額が正当であることは前述した。)右課税決定を違法としてその取消を求め得るものではない。

そうだとすると被告のした原告の本件事業年度の法人事業税額を金一、五五五、四七〇円とする課税決定には何等の違法の点がないから、原告の本訴請求は失当として棄却すべきものである。

よつて訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し主文の通り判決する。

(裁判官 熊野啓五郎 中島孝信 岡村利男)

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